ブービエ・デ・フランダースの起源


                                               
                                 

犬種名である「ブービエ・デ・フランダース」とは「フランドルの牛追い」という意味で、発祥地はフランドル地方です。
ブービエ・デ・フランダースという犬種名は、1910年頃にフランス語を話す住民によって作られた名で、
ピッケールまたはピエクハールと呼ばれていました。
その意味は「チクチク刺すような 粗い毛をしたヤツ」という意味だそうです。

ベルギーの犬の権威者で、1948年にベルギーの犬雑誌『L'Aboi』で、ブービエの歴史を出版したルイ・ユイゲバエール氏の研究のおかげで、テル・デュイネン修道院の修道士たちがブービエの最初のブリーダーであったことがわかっているそうです。

そのテル・デュイネン修道院は、1107年にフランドルの西海岸にあるコクシドゥという街に設立されました。
そして、当時のフランドルで最も大きく最も有名な修道院になりました。
そこの修道士たちは自分の船を持ち、英国諸島から犬を輸入しました。
特にディアハウンドやアイリッシュウルフハウンドとよばれる、大きくてグレーブリンドルの粗い毛のサイトハウンドを輸入しました。
輸入した犬は、その地方の農家の犬と交配して繁殖されました。選抜的な繁殖によって、大きくて粗い毛の犬が作り出されました。
これがブービエ・デ・フランダースの先祖であると考えられています。

当時の修道士たちは、ある特定の犬種に「聖」の名称を与えました。 セントバーナードや、サン・チュベール・ハウンドなどがありますが、当時のブービエはごく普通の犬で主人の聖名は与えられませんでした。

現在のテル・デュイネン修道院は、壁の残骸が残っているだけの廃墟となっているようですが、大型犬がちょうどおさまるくらいの犬舎跡が認められるようです。

以上、ブービエクラブ・ジャパンの研究ノートからですが、テル・デュイネン修道院の修道士たちがブービエの最初のブリーダーであったことがわかっている ということなのですが、ルイ・ユイゲバエール氏が何を根拠に判断したのかが書かれていないのでこの説の根拠がわかりません。
長年の夢がかなって来月ベルギーに行く予定で、アントワープ観光局のヤン・コルテールさんにお会いできることになっています。
テル・デュイネン修道院の記録や、ルイ・ユイゲバエール氏のブービエの歴史に関する記述について、私も何か手がかりを探せたらと思っています。


ブービエの祖先がアイリッシュウルフハウンドであるのか、スコティッシュ・ディアハウンドであるのか、どちらかであるのかははっきりしません。起源は、テル・デュイネン修道院の修道士たちがスコットランドやアイルランドから連れてきたハウンド犬を地元の犬とかけ合せてできたという事ですが、では、もう片方の地元の犬は何だったのでしょう。
19世紀の終わり頃にブービエにはモロシアン的な要素があるとリュル博士が指摘し、そしてその後、ベルギーブービエクラブの事務局長をしていたヴァルバンク氏も指摘しているのですが、「牛咬み」と呼ばれた犬の血が入っているのではないかということです。
「牛咬み」とはブラッドハウンドの祖先犬のことです。ジャパンケンネルクラブの全犬種標準書のブラッドハウンドに興味深いことが書いてあります。
全犬種標準書には以下のように書かれています。

「---その犬はアルデンヌ地方でサン・チューベル(セント・ヒューバート)修道院の修道僧に飼育されていた。7世紀に、後に司教となり狩人の守護霊となる修道僧ユベール(ヒューバート)が飼育していたブラックあるいはブラック・アンド・タンの猟犬の流れを汲むと思われる。それら大型犬のセントハウンドはアルデンヌ地方に広がった。というのはこの地域に広がっていた森に、大型の獲物が居たからである。人々はこのサン・チュベールを、その頑固さ、その耐久性を、とりわけ狩猟における猟性能をほめそやした。初期のサン・チュベールの犬はブラックで、その後ブラック・アンド・タンが出た。11世紀にこれらの犬はウイリアム征服王によってイングランドにもたらされた。同じ頃、同じタイプだが全身真っ白の「タルボット」と呼ばれる犬が同様にイングランドに入った。イングランドにおいて、これら外来犬の子孫ができた。彼の地で繁殖されたサン・チュベールの犬たちは「ブラッドハウンド」という名で受け入れられた。---」

ここで事務局が注目したのは、初期のブラッドハウンドはブラックであったこと、そして11世紀頃(テル・デュイネン修道院が建設される少し前)には、同じタイプだが全身真っ白の「タルボット」と呼ばれる犬がいたこと、そしてそれらの犬がイングランドに輸出されたことです。
20世紀初頭のブービエには3つタイプがあり、そのうちパレ・タイプと呼ばれる白くてずんぐりむっくりのタイプと、ムーアマンタイプと呼ばれる黒くて背が高くスマートな犬の2つのタイプが主なタイプであったようです。
ブービエは誕生した時から2つのタイプだったのではないでしょうか。一つはスコットランドのディアハウンドあるいはアイルランドのウルフハウンドとベルギーの黒のブラッドハウンドとの交雑によって誕生した犬で、これがムーアマンタイプと呼ばれるブービエの先祖となり、もう一つはスコットランドのディアハウンドあるいはアイルランドのウルフハウンドとベルギーの白のダルボットとの交雑により誕生した犬で、これがパレ・タイプと呼ばれるブービエの先祖ということではないでしょうか。ブラッドハウンドはサン・チューベル修道院の犬でありテル・デュイネン修道院が設立される少し前からイングランドに輸出されていました。そしてテル・デュイネン修道院の修道士たちが船団を持ってスコットランドやアイルランドからディアハウンドやウルフハウンドを輸入したのであれば、逆にベルギーからイングランドに修道院の犬であるブラッドハウンドやタルボットを輸出したのではないでしょうか。船団を持って犬の貿易取引した彼らが、片道を空船にするはずがありません。したがって、当時のテル・デュイネン修道院の犬舎には、スコットランドからやってきたディアハウンド、アイルランドからやってきたウルフハウンド、そして、これからイングランドへ輸出されるのを待つベルギーのブラッドハウンドやダルボットたちがいたのだと思います。これらの犬たちはテル・デュイネン修道院で交雑し、2つのタイプのブービエが誕生したのではないでしょうか。これはあくまでも仮説です。

さて、テル・デュイネン修道院で誕生したブービエは、その後、近くの牧場で働くことになります。そこには当然、すでにシェパード・ドッグたちがいたことでしょう。だとすればこれらのシェパード・ドッグたちと交雑するのはごく自然な成り行きだと思います。ブービエの元となったと思われるスコティッシュ・ディアハウンドやアイリッシュ・ウルフハウンド、ブラッドハウンドやタルボットといった犬は超大型犬ですので、これらの交雑によって誕生した犬も超大型犬だったのでしょう。そして、その後シェパード・ドッグと交雑することによって現在の大きさになったのではないでしょうか。多くの者がブービエにはシェパード・ドッグの血が入っていることを指摘しています。牧場にでればそこにはシェパード・ドッグたちがいたのですから当然のことでしょう。しかしながら彼らの説で 違うのではないか という点が一つあります。ベルギーのシェパードにFCI未公認のピカーディ・シェパードがいます。このうち彼らが指摘するのは、毛むくじゃらのラケノアの血が入っているといいます。これは逆ではないかと思います。シェパード・ドッグの毛は普通はストレートです。ケラノアのように毛むくじゃらのシェパード・ドッグの方が珍しいです。ですから、ブービエにラケノアの血が入ったのではなく、逆に、シェパード・ドッグにブービエの血が入ってラケノアのように他のシェパード・ドッグと極めて毛質の異なるシェパード・ドッグが誕生したのではないでしょうか。ダッチ・シェパードにもケラノアのように他のシェパード・ドッグと極めて毛質の異なるシェパード・ドッグが見られます。しかし、他の国ではこのような毛質のシェパード・ドッグは見られません。

20世紀に入ると、ブービエはブリアードやピカードと交雑します。これは確認されていることだそうです。しかし、どちらのタイプのブービエと交雑したのか書いてなかったのでわかりません。この交雑によって第3タイプのブリアード・タイプができたのか、ブリアード・タイプについては説明がなかったので、どのようなタイプなのかわかりません。
                      ゼウス  

                                                                       
                       


ブービエクラブジャパン事務局研究ノートより



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