ブービエ・デ・フランダースの歴史


                                               
                                 

この犬種の正式な名称は、ブヴィエ・デ・フランドルで、ブヴィエという言葉は、フランス語から翻訳すると牛を看護する人という意味です。それゆえブヴィエは「牛追い人」を意味し、「牛犬」を意味します。牛犬として使われている犬種は他にたくさんありますが、「ブヴィエ」という名称を使用する時は、ほとんどはブヴィエ・デ・フランドルのことを言っています。ブヴィエ・デ・フランドルには、多くの特徴的なフランドル語の名前があります。
Boever フランス語のBouvierから由来
Pikhaar 英語だとpick hairで pickingは粗い毛を意味します。
Vuilbaard 英語だとdirty beardと呼ばれ、水を飲む時にぬれてしまった口ひげと顎ひげを意味します。

ブヴィエの起源がベルギーとフランスにまたがるフランドルなので、この犬種はベルギー犬とフランドル犬の両方であると考えられています。その結果、ベルギーとフランスの両方とも国際畜犬連盟(FCI)が定める正式なブヴィエ・デ・フランドル犬種標準を維持する責任があります。

1900年までのブヴィエ・デ・フランドルの進化・発展についてはあまりよくわかっていません。ブヴィエは農場の一般的な作業犬であり、牛追い犬でした。そして20世紀への変わり目の時期に住んでいた人々によると、ブヴィエの生涯の生活は幸せで羨ましがられるようなものでは全くありませんでした。ブヴィエの生涯の生活は実際はとても哀れなものでした。ブヴィエは夜も昼も働かなければなりませんでした。そしてブヴィエに課せられた作業は、骨の折れる作業で疲労困憊するものでした。ブヴィエは、その力強さと忍耐力と天候の変化から身を守る毛、そして何よりもそのしっかりした落ち着いた性格と気質のおかげで課せられた作業をこなすことが出来ました。

ブヴィエの毎日の仕事は、防衛すること、群れを集めること、引っ張ること、そして搾乳機を回すことでした。農家の人々は、怪我から守るため、また牽引作業で必要な器具を装着しやすくするためにブヴィエの尻尾を短く切り取りました。ブヴィエの耳はペットではなく作業犬であることを示すために切り落とされました。当時はペットの犬には課税されていたからです。ブヴィエは飼い主の家の中には入れてもらえませんでした。作業していない時は、番犬として家の外に繋がれた「バンドッグ」bandogでした。このような扱いは現在は法律で禁じられています。

農場犬としてのブヴィエの生活は粗末で哀れなもので、まさに比喩表現として使われる「犬の生活」そのものでした。今では多くのブヴィエの愛好家たちは「彼の粗さはどこへ行ってしまったのか」と不満を述べます。「粗さ」とは毛の粗さ、行動の粗さ、性格の粗さを意味します。初期においては、彼が出会った国、彼が出会った天候、彼が出会った農家の人々、彼が使われた作業など、彼が出会ったすべてのもの、すべてての人達は、粗さと無作法さによって性格付けられました。それで、彼はどのようにして、すべてのことを成し遂げ、生き残ることが出来たのでしょう。もちろん、彼自信が粗かったからです。でも、今の彼は「柔らかく」なったでしょうか。

ある意味では、ブヴィエは実際に変わったと認めることができますが、それは今日ブヴィエの生活条件が改善したことにより部分的にある程度変わっただけです。ブヴィエの毛が、その性格とともに柔らかくなったことは事実です。彼は、今は以前ほど不屈で粗野ではなくなり、より友好的になりました。そして、何よりも家庭犬になりました。よい食事を与えられ、よく手入れをされて、よく世話をされています。これは、彼の先祖たちが不平を言うことなく耐え抜き、忠実に、喜んで、骨の折れる多くの仕事を成し遂げてきた事に対する褒章です。私たちは、彼はすでにこの地上において天国を得たと思います。

世界大戦はブヴィエに使用税を課しましたが、幸いなことに、献身的なブリーダーのおかげでブヴィエは生き残ることができました。1912年の犬種標準の採用後、事態は急速に発展しましたが、第一次世界大戦とともに停止してしまいました。ブヴィエの本国が戦場となり、荒れ果ててしまったため、1918年にはほとんどすべてのブヴィエは事実上いなくなってしまいました。ほんのわずかなブヴィエだけが生き残りました。この戦争の間、ブヴィエが軍用犬、より正確に言うと、救急車犬やメッセージ犬として使われたことがせめてもの慰めでしょう。

戦後、この犬種の再構築はとても困難で、全犬種ショーでは、ほんの数頭のブヴィエしか見られませんでした。しかしながら特記すべきは1920年にアントワープで開催されたオリンピックショーです。ここでは16頭のブヴィエが出場しました。それらのブヴィエの中で、伝説の雄犬のニックは常に一番目に置かれ、1921年にベルギーのチャンピオンになりました。ニックの起源については何もわかっていませんが、彼はポパリンジュの町(西フランドル地方の南部の町)近くに住むブヴィエ愛好家が所有していて、戦争の間にベルギー陸軍の家畜治療を行う陸軍大尉であったバルブリ大尉(後に陸軍少佐)によって買い取られました。ニックは軍用犬として訓練され3年間奉仕しました。戦争が終わって彼はソッテゲム犬舎に行き、バルブリ陸軍少佐の兄弟によって所有され、その後ドゥ・ラ・リ犬舎に行きグリソン氏の所有となりました。この犬舎は、戦後の期間において最も重要でした。そして、第一次世界大戦の数少ない生き残りの1頭であるチャンピオン犬ニックは、この犬種の最も有名な先祖であり、今日のブヴィエ・デ・フランドルの基となる父であると考えられています。ニックは1926年に死にましたが、彼は多くの価値ある後継者たちを残しました。

戦後、新しいタイプと毛に関する論争と不一致、特に犬種に対する差し迫った必要性と単一のブヴィエのタイプにむけての選択は止みませんでした。しかしながら進展はありました。1937年4月25日に、フランスとベルギー両国の評判の良い審査員で構成されるフランス・ベルギー委員会が、本当の、一つで唯一のブヴィエ・デ・フランドルのとても詳細な標準を共同で書き上げました。

不幸なことに、新しい標準と論争を終わらせるためのすべての努力は、合意を得られず、過酷にも3年後に第二次世界大戦が勃発しました。これによってブヴィエにとって、生き残るための新たなる戦いの期間が始まりました。ブヴィエに対するものすごい破壊が再度起こりました。世界的規模で、結果はとても厳しく、この犬種の存続は危うくなりました。それにもかかわらず、ブヴィエは再度生き残りました。




                                                                                    

                      ゼウス  
ロバート・ポレ博士の「ブービエ・デ・フランダース」より
ブービエ・デ・フランダースの歴史に関する章 ブービエクラブジャパン翻訳


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