作業犬として
これほど人のために何世紀にも渡って働いてきた犬は他にいるでしょうか。 人のために危険をかえりみず牛や羊を追い、人のために夜も休むことなく番をし、 人のために重たいミルクやチーズの荷車を引き、人のために重たい搾乳器を回し、 人のために弾丸の飛び交う戦場に赴き、人のために伝令を運び、人のために負傷者を運び、 朝から晩までヘトヘトになるまで人に尽くしてきた犬。お疲れ様でした。 これからの君たちの犬生は、人とともにたくさん楽しむことです。 君たちのご先祖さまが何世紀にも渡って人に尽くしてきた分、楽しい犬生を与えてくれるでしょう。 ブービエは作業犬で、作業をするように育てられていました。 牧場、農場では、昼間は牛の群れの誘導者として働きました。止まって動かない牛を急ぎ立てて動かし、群れから離れてしまう牛を群れに戻しながら誘導して回りました。 時には侵入してきた狼などの外敵を追い払ったりして牛を守りました。他の牧羊犬と違い、ブービエは一つ一つの動作を人からの命令なしで単独で作業します。 この他、ブービエは牛の乳からチーズを作るための重たい搾乳器を回す作業にも使われ、できたチーズやミルクを運ぶ荷車犬としても使われました ブービエたちは夜も番犬として働いていました。ブービエの尻尾は、荷車を引くのに邪魔になるため、また、怪我を事前に防ぐために切り落とされました。 また、作業犬以外の犬は課税されたので、作業犬であることを示すために彼らの耳は切り落とされました。 毎日毎日、昼も夜もこのような重労働をこなし、人のために働いてきたブービエですが、彼らは家に入ることを許されず、犬舎も与えられませんでした。 建物の壁や大きな木に厚板を斜めに立てかけたその中が彼らの寝床でした。 「フランダースの犬」の作者ウィーダは1871年にアントワープをを訪れ、その経験を元に物語を書きました。 彼女が訪れた当時のフランドル地方は、貧しい農村地帯で農家の子供たちはみな働かされていました。同様に農家の人々は高価な馬を買うことが出来ず、 お金のかからない大きな犬を作業犬として使用していました。ロマンチストで犬好きなウィーダにとっては、心を痛める光景が広がっていたのでしょう。 彼女は「フランダースの犬」(村岡花子訳)の中で、このように書いています。 「フランダースの犬は毛なみは黄色で、頭と手足が大きく、狼のような耳がまっすぐたっている。 何代もつらい労働につちかわれてきた種族なので筋肉が発達し、足は湾曲して、ふんまえたようなかっこうをしていた。 パトラシエの一族は親から子へと、何世紀もフランダースで苦しい残酷な労役に服してきた奴隷中の奴隷であり、庶民の中の犬だった。 車の梶棒と馬具にゆわきつけられ、一生、荷車の擦傷に苦しみながら筋肉を無理に使ったあげく、街路のかたい敷石の上で心臓が破れて死んでいくのだった」 「パトラシエの両親はとがった鋭い石を敷き詰めた、さまざまな都市の舗道と東フランダース及び西フランダースとブラーバンドの、ながい、木陰一つない、あきあきする街道で生涯をはげしく働きぬいた。 生まれながらにパトラシエの受け継いだものは、その苦しい労役だけであった。悪罵によって育てられ、拳骨で洗礼された。 それだからといって不思議はないではないか? 一方は文明国であり、パトラシエのほうは犬にすぎないのであるから。パトラシエはじゅうぶんに育ちきらないうちから、つらい荷車の擦傷と首輪の味を知った。 生まれて13ヶ月にもならないうちに、ある金物屋の所有するところとなったのである。 この金物商人はこの地方の北や南を、青い海から緑の山々へといつもさまよい歩いていた。 パトラシエは年がいかないために、安い値段で売り渡されたのだった。」 「パトラシエの飼い主は不機嫌な、貧しい、残忍なブラーバンドの住人で、鍋類や細口びんやバケツ、その他の瀬戸物、真鍮、ブリキ製品を山と積んだ荷車をパトラシエに根かぎり引かせ、自分はらくらくとそばで黒いパイプをふかしながら、のらりくらり肥えた体をはこび、街道筋にある酒屋やコーヒー店には一軒残らず足をとめるのであった。 パトラシエにとって幸いなことには、、あるいはかえって不幸だったかもしれないが、、非常に丈夫であった。 長い間このように残酷な苦役にのみ従ってきた生粋の鉄のような種族の子孫であった。そのためパトラシエは死なずに、非常に重たい荷物をひき、鞭の乱打を浴び、飢えや喉の渇きにあえぎ、なぐられたり、悪態をつかれたりしたあげくに、フランダースの人々が、四足の動物の中でも一番辛抱強くてよく働いてくれる。この犬族に対する唯一の報酬としている、精根つきはてた疲れを与えられるという、みじめな生活にもどうにか耐えていった。」 「健康と力を回復したパトラシエは頑丈な黄褐色の四足で、よろめきながらも、再び起きたのである。」 「じっと家の人達の行動を見守りながら、長いこと茶色の目にまじめな、やさしい、思いにしずむような表情をたたえて横たわっていた。」 「パトラシエは元気になってからのある日、黄褐色の首の周りにひな菊の輪飾りをはめて日向でねころびながら」 「あたりにほがらかな音色をひびかせていく鈴のついた引き具をはめている大きな黄褐色の犬、」 「外に出るとネロは犬の首を抱きしめ、黄褐色の広い額に接吻してはいつも同じ言葉を繰り返すのであった。」 「パトラシエは公道や往来で多くの犬に会い、その犬たちが朝から晩まで酷使されたあげく、もらうものは拳骨と罵声だけ、引き具をはずしてもらったと思えば蹴とばされ、あとは飢えようが凍えようがかまわず放り出されていることを思うとき、心の中で自分の運命をしみじみありがたく感じ、世の中で自分のように幸せな星の者はいないと考えるのであった。」 ナイーブなウィーダが書いた文章ですので、かなり差し引いたとしても、やはり当時のブービエの生活は過酷な日々だったのでしょう。ブービエが誕生した12世紀のフランドル地方は当時のヨーロッパ世界では織物工業と商業の発達した先進地域で繁栄した真最中でしたが、ウィーダが訪れた19世紀後半のフランドル地方は、働かなければ食べていけないような子供達が街のあちこちに見られ、ブービエたちも小さい頃から酷使され疲れ果てて道に倒れると、そのまま舗道の脇に置き去りにされていたのでしょう。 このような光景を目の当たりにしたウィーダの頭の中で「フランダースの犬」のストーリーが描かれたのではないでしょうか。 物語の中でパトラシエ(当時のブービエ)の特徴が出てきます。黄褐色(フォーン)のパレ・タイプのブービエだったのですね。 |
ブービエクラブジャパン事務局研究ノートより |
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