ルーベンス作 「キリスト降架」 1611〜1614年 十字架にかけられたキリストを赤い服の使徒ヨハネ、青い服の聖母マリアたちがおろしています。 ネロとパトラッシュはこの絵の前で息絶えます ただひとつの希望だった絵画コンクールに落選して、夢は消え、身寄りはなく、 お金もないひとりぼっちのネロを助けてくれる大人はいませんでした 家も失ったネロは、年老いたパトラッシュをアロアの家に預けて吹雪の中、 空腹を抱えて大聖堂へ歩いて行きます あの絵をみる事さえできたらと願いながら・・ パトラッシュは知っていました、ネロがたった一人で餓死におもむくために去った事を。 パトラッシュはネロを追って吹雪の中へ・・ 暖かい家やスープもパトラッシュを引き止めることはできませんでした。 ネロなしでは、楽な思いもせず食べ物も口にしようとしませんでした。 パトラッシュの友情は深い愛でした。 彼は自分が道端に捨てられ死にかかっているのを、おじいさんとネロに助けてもらった あの過ぎ去った昔を忘れていなかったのです。 人のいない真夜中の教会、ネロはルーベンスの絵にかかっていた布をはずします。 しかし暗い夜でまるで見えません。 その時、神の恵みがあり、奇跡が起きます 雪はやみ、月の光がさしこみ、ルーベンスの傑作「キリスト昇架」と「キリスト降架」を明るく照らしたのです。 「キリスト昇架」と「キリスト降架」、かつては物語に書いてあるように、お金を払わないとみることができませんでした。 誰でも観ることができるようになったのは20世紀半ばからです。 この物語は悲しい結末ですが2人は幸せだったと思います。 あれほどみたかったルーベンスの2枚の絵をみる事ができたからです。 2人にとって、この世に生きながらえるよりも死の方が情け深かった・・と作者は書いています。 愛には報いず、信じる心にはその信念の実現を見せようとしない世界から、 死は忠実な愛をいだいたままの犬と、信じる清い心のままの少年と、この2つの生命を引き取ったのです。 生涯2人は一緒に過ごし、死んだ後も離れる事はありませんでした。 また、作者は必ずしも19世紀のアントワープに魅了されていたわけではありません。 しかしこの街を、巨匠ルーベンスが生き、そして葬られたことから「神聖なる地」と評しました。 「ルーベンスがいなければアントワープなんて?」と彼女は書いています。 |
大聖堂の小さなステンドグラス 「パトラッシュはネロの たった一人の友達でした」 |
アントワープから市電トラムに乗って、ネロとパトラッシュが暮らしたホーボーケン村へ行ってみました。
今はホーボーケン区になっています。 市電4番の路線はネロとパトラッシュが毎日歩いた道に沿っています。 ネロとパトラッシュが暮らしたホーボーケンのキオスクプラーツで下車しました。 |
ホーボーケン情報センター前のネロとパトラッシュの銅像 この彫刻は、漫画「ススケとウィスケ」の画家パウル・ゲールの デザインによるインヴォンヌ・バスティアーンの作品です。 1985年2月27日、日本の山本駐ベルギー大使とH.B.コールス市長の手により像の除幕式が行われていました。 |
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